平成30年6月9日会板橋区立グリーンホールにて第15回九柊会総会が開かれました。 総会では当期の活動および会計報告、新幹事の承認がなされました。 新役員(画像3)には、名誉会長杉本悦郎(北園高校校長)、会長宇野晴海(北園10期)、代表幹事(北園17期)宮倉泰義、渡邉嘉也(北園14期)、村井和實(北園17期)、小澤義明(北園18期)、堀行隆(北園20期)、会計監査五十嵐允郎(北園13期)、枷場順子(北園12期)、会計和泉寿子(北園17期)が選出されました。
そして、懇親会が模様されました。
小森会長ご挨拶(北園12期) 画像1
梅雨の季節とは言え見事な晴天の下、本日の総会誠におめでとう御座います。 こうして今年も元気で参加できるのも、御自身の健康と共に家族の方々のご理解とご協力の賜物と幹事一同改めて感謝申し上げます。 本年も母校北園高校の杉本悦郎校長先生の御臨席を賜り大変に有難うございます。 また恩師黒田俊郎先生、榎本進先生にもご出席頂いて居ります。また先刻我が同窓生で有り恩師でもある、小西(内山)薫先生からお電話を頂き、今なおお元気で御活躍をされているご様子を伺い本日は欠席との事、皆様に宜しくとのことでした。
ここで第14回総会後の九柊会幹事会の活動等ご紹介いたします。
幹事会の活動
各期の幹事の皆さんの熱心な母校愛とご協力により通常は隔月に開催、会員の情報等交換し九柊会の活性化と発展について常に活発に協議。
また総会の行われる年は毎月開催し、諸準備等を行っている。
また九柊会会報も毎年4・5月に発行している。
幹事会の一番の悩みは若い期(特に23期以降)に幹事も少なく従って総会の出席者もいないという現状です。
☆対 策
①部活(水泳部・バレ-部。バスケット部)などのOB会に働きかけ。
②恩師黒田先生他からの声かけ。
③ホ-ムぺ-ジの活用。
④各期の幹事の人脈関係による個人的な声かけ等。
⑤九柊会総会の開催年には新聞一般紙各紙に無料広告を掲載。
等を行って居ります。
さて今年も総会を迎えるにあたり種々準備中に戦時中の北園高校も軍事教練が行われ野村嗣男先生の勇姿?をみつけました、後方に掲載してあります。
草創の頃の母校の状況
昭和12年東京府立第九中学校夜間中学校として設立(5年制)
昭和15年夜間行軍、軍事教練、野外訓練等
昭和18年修業年限1年短縮10月より学生生徒の徴兵猶予停止、学徒出陣
昭和19年軍事教育を全面強化、中学では実戦即応の基礎訓練を実施、進学者以外の外国語教育を廃止。中学生徒の勤労動員始まる。
昭和20年繰り上げ卒業、これらは今では想像もできない事です。
私にとって母校の思い出は特に定時制の昭和31年定時制での全教室に蛍光灯の照明が付いた時でした、また昭和33年定時制20周年(全日制30周年)記念式典、完全給食の実施でした。
また定体連の体育大会での活躍も目覚ましく、特に男女バスケット、卓球、水泳の活躍が目立ちました。
昭和34年には滝野川分校と合併、20学級と当時最大規模を誇りました。
そこで昭和36年に定時制同窓会(九柊会)結成 再スタ-トする事に成りました。平成15年3月北園定時制課程閉課程とは思いもよらない事でした。
現北園校歌の最後に「時世の色はうつろえど、ここ北園の学び舎に、柊の葉はみどりなり、柊の葉はみどりなり」 とあります。
昭和20年東京大空襲で母校は多くの焼夷弾を受けましたが、校舎は幸いにも焼け残りあたり一面焼け野原と成ったそうです。校庭の一隅に一本の柊が青々と茂っていたそうです。校歌の作詞家の坊城俊民氏は生徒達の若い生命力と教育の理念のすがたをこの柊に託して、校歌の中に読んだそうです。
閉校記念誌で大井俊博教頭先生は第一次都立高校改革推進計画で閉課程の憂き目を見た我が母校ではあるが、「勉強の北園」「指導教官制の北園」「定時制の学習院」と地域・社会から信頼され愛せられて来た伝統ある母校が何故?と思わざるを得ないと。でも我が九柊会の会員は生涯この母校で学んだことを誇りに九柊会の灯を燃し続けてまいりましょう。
宇野晴海新会長ご挨拶 画像2
ただいま、九柊会会長として選任されました北園10期生の宇野晴海でございます。
本日は、ご多忙中のところ、杉本校長先生、黒田先生、榎本先生をはじめ、多数の会員のご来場をいただきまして、まことにありがとうございます。
ご存知のように、九柊会は現在北園高等学校長を名誉会長にいただき、旧制の九中、尚道、北園高校の本校、分校の定時制課程の卒業生、当時の教職員により構成されております。
私達は、家庭の経済的事情、その他の事情により、昼間は仕事に励み、夕方から数時間を九曜の星のもと、北園の学び舎で勉学にいそしんで参りました。
幸いと言ってよいかどうか分かりませんが、時代の移り変わりとともに、世の中が豊かになり、ある意味では、誰でもが全日制課程に進学できるようになりました。
そんなことから、高等学校における定時制課程は、いつのころからか、その役割を終えることになったのであります。
私達の北園高校におきましても平成15年第55期生を最後にその幕をおろすことになりました。
このころ、このような事柄につきまして、盛んに閉校という言葉が使用されていましたが、私はこの閉校という言葉に大変抵抗を感じておりました。
閉校という言葉には、なんとなく母校が亡くなるという意味合いが感じられるからです。
定時制課程が閉課程となっても私達にとって、北園は、母校なのであります。 北園高校は母校として永遠です。
ただ、残念乍ら、北園高校を母校とする九柊会の会員の数は、平成16年以降減少の傾向にあります。 減少の原因は、新しい卒業生がいないことと先輩達の期をはじめとする自然 減にあります。
最近では、同期会を解散したり、ほどんど開催していない期もあると聞きます。
同期会を解散したり、開催されなかったりする期の九柊会会員にあっては、北園つながりは、九柊会しかありません。
言葉としては、語弊があるかも知れませんが、北園つながりは、旧交をあたためる場として、郷愁を感じる場として、必要ではないかと考えております。
私達役員は、会員の皆様が、北園つながりを大切にしていただくための九柊会運営を心掛けていく所存ですので、どうぞよろしくお願いもうしあげます。
以上